国会・陸上自衛隊広報及び築地市場カメラ散策

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                   (衆議院議場)
9/1日に民進党の代表選挙、安倍首相が国連総会から帰国後、衆議院議員の解散の話題になり10日もしないうちに本当に解散。9人で希望の党が設立。1週間もしないうちに三桁の候補者。❝政治は一寸先は闇❞といわれますが本当だ。そこで国会議事堂を見に行った。
 本会議を開かれる衆議院議場。正面中央の高い椅子が議長席。議席は議長席に向かって左から右へ所属議員数の多い会派から順次各派別に座る。

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                      (議長席周り)
議長席を中心として左右にそれぞれ2列の席があり、前列は国務大臣席で内閣総理大臣は左側の席に近いところにあります。

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                (板垣退助像)
中央玄関を入ると中央塔の真下にあたる所に中央広場があります。議会政治擁立に功績があった伊藤博文、板垣退助、大隈重信の銅像が立っています。

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                          (中央広場天井)
中央広場は4階吹き抜けで窓と天井はステンドグラスがはめ込んであります。天井までの高さは33mあります。

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                    (国会議事堂正面)
野党の民進党のモタモタ、希望の党の旗揚げのⅠ寸のスキを突いて「国難突破解散」の大義名分で解散した安倍首相は「してやったり」と思ったが、小池都知事は小池人気で三桁の候補者の擁立を立てて政権奪回を狙う。こちらも「してれやったり」と思っている。

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                        (陸上自衛隊広報センター)
国道254の側の朝霞駐屯地にある「陸上自衛隊広報センター」に行った。陸上自衛隊最大の広報施設である。戦車や小銃等自衛隊の装備が展示されている。

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                        (AH/IS:対戦車ヘリコプター)
使用されないことを願う。

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                        (74式戦車及び10式戦車)
なんとなくイヤな雰囲気の世の中になってきたが使用されないことを願う。

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                         (遠隔操縦観測システム:無人機)
震災・災害等に使ってもらいたい。東日本大震災等自衛隊が活躍しているのをみると、ホットして体を気お付けて安全にやってもらいたい。

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                        (懐かしいポスター)
1964年の東京オリンピックのポスター。色々なオリンピックのポスターの中で一番印象に残るポスター。

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                      (築地)
先日の火災で築地がどうなっているか気になり行ってみた。火災のテレビではこの看板が落ちているのを見たが以前と同じ看板がかかっており、ホットする。

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                      (火災発生場所)
火災の起きたラーメン店附近はブルーシートで囲まれていた。この付近の店舗でラーメン、鉄火丼、イクラ丼など食べた。

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                      (築地場外)
外国人観光客で賑わっている。オーナーが名が売れている「すしざんまい」も開店している。

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                      (築地場内)
築地の雰囲気が好きで何度も来たが火災前と変わらない。

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                     (築地場内)
マグロ。買えないけど眺めるだけでいい。築地は男の世界だ。

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                     (魚河岸横丁)
久し振りに寿司を食べる。1時間待ち。

※おばさんたちの元気な声を聴くとホットする。築地は活気がなくちゃ。


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中央アルプス 木曽駒ケ岳登山

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                      (乗越浄土より・富士と南アルプス)
 中央アルプスの主峰・木曽駒ケ岳に一度は登りたいと長年思っていた。自分、75歳、カミさん 69歳、3000m級の山に挑戦する。
 早朝に登山バスが出る菅の台バスターミナルに到着。菅の台ばすセンターからロープウエイの出発駅「しらび平」まで山岳バスは狭くて急な山道を運転手の超絶妙技巧で快適に「しらび平」駅に到着。

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                     (駒ケ岳ロープウェイ)
 しらび平から千畳敷駅(2612m)まで一気に1000m以上の高さまで8分で登ってしまうから、山の愛好家としては なんとなく罪悪感を感じる。

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                     (駒ヶ根神社)
 千畳敷駅で登山計画を出して、駒ヶ根神社に安全登山を祈願する。20年前に来たときは結婚式が行われていた。

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                    (千畳敷カール)
 千畳敷カールのお花畑を見たくて7月に計画をたてたが、花は余り咲いていなかった。左が宝剣岳。望遠鏡で八丁坂の急登を探索中。八丁坂は上り下りで登山者で混んでいる。

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                    (雪渓の歩行)
 何年ぶりかの雪渓を歩く。人の歩いたトレースを踏み外さない様にバランスよく歩く。八丁坂分岐点までゆっくりと足慣らしである。

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                    (乗越浄土からの眺め)
八丁坂分岐から本コース最大の登りが始まる。ジグザグに蛇行しながら高度を上げると、鋭い岩峰が正面、左右から近づいてくる。急坂は20分行動5分休みのインターバルで登る。カミさんが遅れがちなので、先に乗越浄土まで登り、ザックを降ろして、カミさんを迎えに行く。カミさんのザックを背負い再度乗越浄土まで登る。
 ここから伊那の平、駒ヶ根市の向こうに天竜川や遥か彼方に南アルプス、富士山がかすかに見える。

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                     (宝剣山荘)
 今日と明日の二日間泊まる3000mの山小屋。約200人の宿泊があり、夕食は2交代制。

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                     (天狗岩)
 宝剣岳の側にある天狗岩を撮る。韓国人や中国人の登山者が多く、高い声(怒鳴り声)でビールを飲んでいた。

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           (宝剣岳と月)
 宝剣岳と星の光跡を撮りに夜中に2回程、小屋から外にでて星の観察をしたが、薄く雲がかかり 又 月の光が強くて星はよく見えない。

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                       (早朝の飛行機雲)
 南アルプスから富士山が蒼を出す。日本人は富士山を見るとなぜかホットする。薄い雲が出てきた。天候が悪くなりそうだ。

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                       (中岳)
 7時に軽い体操をして登山開始。中岳を木曽駒ケ岳と間違いやしぃ。木曽駒ケ岳はまだ見えない。ロープウェイで2000mまで域に登れるから小さな子供つれた家族登山や日帰りツワー登山が多い。

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                       (中岳から木曽駒ケ岳)
 少しガスがかかってきた。中岳まで登ってきたと同じくらい下り、再び登り坂を駒ケ岳頂上を目指す。

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                      (キスミレ)
 鞍部の頂上山荘からは、ガスで周りが見えないから高山植物や花を撮りながら登る。

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                       (チングルマ)
 ガスと風が出てきた。風は呼吸しているので止まる一瞬を狙ってシャッターを押す。

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                      (コイワカガミ)
 女王コマクサは見つからない。

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                     (木曽駒ケ岳)
 中央アルプスの最高峰・木曽駒ケ岳に着いた。いくらかはガスが取れてきたが周囲の山々は見えない。

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                     (木曽駒ケ岳神社)
 頂上には二つの神社がある。伊那駒ケ岳神社と木曽駒ケ岳神社である。両方の神社に手を合わせる。
 ガスがかなり強くなってきた。ゆっくりと下山する。

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                      (宝剣岳頂上)
 宝剣山荘に着いた足で自分だけ宝剣岳に登る。天候が悪く登山者は数人しかいなく、クサリ場では待ち時間がない。ちょっと岩登りの気分を味わって宝剣岳の頂きに着いた。

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                      (2612Cafe)
朝から雨である。カッパを着てゆっくりと下山。ホテル千畳敷の「2612Cafe」でコーヒータイム。コーヒーが美味しい。

余談
1.その1
 1)伊那市→内の萱→胸突き八丁の頭→竜ヶ峰→濃の池→乗越浄土→木曽駒ケ岳の登山ルートは、大正2年8月26日の中箕輪尋常高等小学校(現、箕輪中学校)の修学旅行登山に於いて、韋駄天台風の雨、強風、寒気による赤羽長重校長、児童10人の死亡遭難が起きた。

2)大正2年8月27日6時頃は八丈島付近を通過した台風は北北東に進んで27日13時頃銚子附近を通過、東北地方を縦断して午後8時頃津軽海峡を抜ける。大正時代の貧弱な気象業務では、この台風をチャッチすることはできなかった。

3)「体験こそ人間を造るものだ。修学旅行という実践教育を登山に求めようとするのは極めて自然の事である」との実践主義教育者・赤羽長重校長の旅行登山の思想は、毎年中学二年生による駒ケ岳登山が実行され引き継がれている。遭難記念碑には、夏になると必ず登って来る中学生たちが捧げる花束で飾られる。

4)この遭難の悲劇は、新田次郎の小説「聖職の碑」になっている。

2.その2
 1)京都旅行、北海道旅行などは京都に行った。北海道に行った。で終わるが、3000mの山に登る時は3ケ月前から、8キロの水を背負い、階段や平地での歩行訓練などを行い体力の維持に努める。そして 駒ケ岳頂上に立った時は達成感が沸く。











南房総カメラ散歩

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                        (東京湾フェリー)
 元会社の建設部OB会が南房総「白浜温泉」で開催された。房総半島はバイクで何度も走っていて、久し振りに南房総のカメラ散歩である。
 東京湾フェリーは久里浜と金谷を40分で結ぶ航路である。対岸の久里浜火力発電所の煙突付近からフェリーが出てくる。火力発電所の上kに富士山が見えるが、残念だが顔を出さない。
 フェリーは狭い港の中でクルリと回転して久里浜に向かう。船員の話では防波堤内に目立った潮流がなく、比較的操船がしやすいとの事。

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                        (房総びわ)
 国道127号を走っていると、道の駅や国道沿いに(房総びわ)を売っている。ビワを見ると戦後(昭和21年3月)北朝鮮から命からがら母の実家の佐賀に引き揚げてきた。北朝鮮の赤土に比べると、緑豊かな各農家の庭に黄色く光り輝く「びわ」を見たときは、「きれいだな」、「たべたいな」と思いながらみていた。

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             (日本寺の石大仏)
 海抜329mの鋸山。鋸山は良質な房州石の産地で、石を切り出した岩肌に摩崖仏や石仏がある。 1700年代に3年の月日をかけて作られた石大仏。大きさは31mもある日本一の石大仏。小雨の中、ツワーバスが次々と到着して観光客が多い。

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                          (地獄のぞき)
 石大仏から急な階段、また階段を観光客の後についていくと、地獄のぞき)に出る。私は高度恐怖症で行けない。

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              (地獄のぞき)
崩れないかと思うほど、岩から突き出て高いところにある。以前、カミさんを立たせて写真を撮った。

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           (百尺観音)
 インドの摩崖仏を思わせる。昭和41年6年の歳月をかけて完成した。百尺観音は戦争で亡くなられた方々の慰霊のため、また 東京湾周辺の航海、航空、交通犠牲者の為に発願されて彫られた。

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                           (岬カフェー)
 映画、吉永小百合さん主演の「ふしぎな岬の物語」のモデルになった喫茶店。国道127号、内房なぎさラインを走っていると、トンネルの手前に「岬のカフェー」の看板が見える。
 テラスで東京湾を挟み、三浦半島が小雨の中にかすかに見え、タンカーや貨物船等の行き交う船をコーヒーを飲みながらボケーと見るのも心が安らぐ。

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                           (岬カフェー)
 「ふしぎな岬の物語」は第38回モントリオール世界映画祭で、審査員特別賞とエキュメニカル審査員賞のダブル受賞をした。

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           (米占領軍本体本土初上陸地点)
 南房総カメラ散歩の一番の目的である赤山地下壕跡を撮る事である。写真は「ノルマンジー上陸作戦」の写真をおもわせるが、昭和20年9月3日:午前9時20分に、カニンガム准将に率いられた米陸軍第8軍11軍団の3500名が上陸用舟艇を使って館山に上陸してきた。

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                         (上陸地点)
 上陸地点の一部は現在造船所として使われている。当時のコンクリート製滑走台跡は見つからなかった。

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           (館山海軍航空隊赤山地下郷跡)
 第一次世界大戦が始まると軍艦だけでなく飛行機が兵器として使われるようになり、昭和5年に海軍の実践航空部隊として館山海軍航空隊が設立され、館山市内に航空機の工場や燃料の補給施設が集中した。

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                  (赤山地下壕跡)
 昭和16年に対空射撃や陸戦隊の戦術の教育機関、館山海軍砲術学校を設立。そして 昭和18年に航空器整備のために海軍航空隊もつくられた。

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                     (赤山地下壕跡)
この館山海軍航空隊赤山地下壕もそんな軍事施設の一つ。戦時中のトップシークレットだったので、設計図や資料は残っていない。工事開始は昭和17年頃、地下壕全体は1.6キロあるが、見学できるのは延長250mのみ。
 受付で名前と住所を記帳してヘルメットをかぶり内部に入った。

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                     (赤山地下壕)
 地下壕内部には発電所、診療所などの跡がある。戦時中行き当たりばったりで掘ったため迷路のようになっている。この日は見学者は私一人で写真撮影に夢中になり出口が分からなくなった。

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                      (掩体)
 赤山地下壕の傍に「掩体(えんたい)」がある。戦争末期に空襲から戦闘機を守るために作られた「掩体」と呼ばれる格納庫。学生や住民、兵士たちによって40ケ所余りつくられた。全国に残っている掩体は平地にカマボコ型に作られているが、館山では河岸段丘を利用してつくられている。屋根部分に土が盛られくさが生えているから上空から見えにくい。

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                      (掩体)
 この掩体に格納された戦闘機は小さな豊津川を越えて誘導路を通り未舗装の簡易滑走路に引き出されたと思う。

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                      (掩体)
中はヒンヤリとして涼しい。分厚いコンクリートで固められ、ところどころ鉄筋がむき出しになっていた。戦時中の兵士が見守っているようで肌寒くなる。

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                   (野島崎灯台)
「白鳥の灯台」とも呼ばれる野島崎灯台。北海道から沖縄までいろいろな灯台を見てきたが、綺麗な灯台である。映画、「喜びも悲しみも幾歳月」に選ばれなかったのは、明るく きれいだからなのか。

思い出
 ※日本は東京を中心に時計回りに発展するといわれました。川崎、横浜の京浜工業地帯、そして千葉、鹿島などの京葉工業地帯です。
 昭和37年(55年前)五井の丸善石油(現コスモ石油)の配管工事に携わった。宿舎は八幡浜でも飯場生活。40人が雑魚寝である。布団を敷く範囲が自分のお城である。飯場には背中一面に入れ墨の男、おとなしいが不気味な男、チンポの先に蜘蛛の入れ墨をした男たちを見ていると人間観察が面白い。

 この時代は工期を守る為に、正月休みなどなく、12月31日は吹雪の名k徹夜作業で紅白歌合戦の「こんにちわあかちゃん」や「アカシアの雨がやむとき」は、車のラジオで聞いた。

 その後、極東石油のドーム状の原油タンク建設、住友化学の化学プラント工事に携わった。千葉の京葉工業地帯は思い出が一杯で、コンビナートを懐かしく見て通る。








紫陽花・古代蓮・石仏

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                    (熊谷・能護寺の紫陽花)
六月・梅雨・紫陽花と連想する。石原裕次郎は「花の中で紫陽花が一番すきだ」と言っていた。裕次郎の鶴見の墓地には紫陽花が植えてある。アジサイと言えば、鎌倉のアジサイ寺「明月院」が思い浮かぶ。我が熊谷近郊には紫陽花、古代蓮など綺麗に咲くところがある。

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                    (能護寺の紫陽花)
熊谷近郊でアジサイ寺として親しまれている能護寺は天平15年に国家安泰、万民豊楽と五穀豊穣を祈願のために行基上人が開山して、後弘法大使が再建されたと伝えられている。毎年 境内には50種類800株を超える色どりアジサイが咲き乱れている。

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                    (能護寺の紫陽花)
日本のアジサイのことを「オタクサ」と命名して世界に紹介したのは、オランダ商館の医官として来日したドイツ人のシーボルトである。オタクサの由来はシーボルトの妻、楠木滝の愛称「お滝さん」であると言われている。

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                 (秩父・皆野町金沢浦山の紫陽花)
秩父・皆野町の北西に位置する金沢浦山地区は、カミさんの故郷・鬼石に隣接する奥深い山中であるが、地元の方々の協力で約4000株のアジサイが植えられている。

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              (秩父・皆野町金沢浦山の紫陽花)
❛カッコー、カッコウー❜とカッコーが鳴いている。

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                (行田・古代蓮の里)
「古代蓮の里」で薄紅色の行田蓮が大輪の花を咲かせている。アマチュアカメラマンで早朝から賑わっている。

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                 (行田・古代蓮の里)
早朝に咲き始めた花は、午前7時~9時ごろ満開となり、昼頃閉じる。

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               (行田・古代蓮の里)
開花から花弁が散るまでわずか4日間と短命だが蓮池には約10万株の古代蓮が咲き乱れている。

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               (行田・古代蓮の里)

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               (行田・古代蓮の里)
   ❛命短く 神秘的に❜

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                (沼田・路傍)
 今月もチョット気になる石仏を載せる。線香臭いと言わないで、かわいい石仏をみてください。

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                 (茨城・東興寺)

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                (茨城・東興寺)

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                (茨城・東興寺)

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                 (東京・林泉寺)
茗荷谷駅を出てゆるやかな茗荷坂を下っていくと「林泉寺」の看板があります。入口の階段を上がって右手に縄で縛られた石仏があります。一瞬ギょとします。この地蔵は俗称「しばられ地蔵と呼ばれています。昔から「盗難な失う物があると、地蔵に縄をかけ、願いを叶うと縄をほどく」という変わった風習があり、現在も荒縄で全身をぐるぐる巻きにされています。

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                   (信州佐久・成田山薬師寺)
いま年配者のアイドルである「ぴんころ地蔵」。「元気に長生きし(ぴんぴん)、寝込まず楽に大往生(ころり)したい」という心からを叶えて上げたいと・・・。成田山薬師寺の参道で毎日毎日見守っている「ぴんころ地蔵」

雑談
※最近の一番の関心ごとは、将棋・藤井四段の29連勝、東京都都議選の自民党の大敗北であるが、いろいろと意見もあるが、それはマスコミに任せるとして、「佐藤琢磨」のインディ500初制覇を上げたい。

1.インディ500は時速350キロで約800キロはしる。時速350キロで東京から広島まである。テレビで見ていると時速300キロで車間距離 数センチの接近戦をしている。

2.レース中に素早いタイヤ交換、燃料補給、そして「第三の目」と言われる第一コーナーと第三コーナー上部仮設スタンドからのスッポターによる他のマシーンとの状況判断。完全なチームプレーで初制覇している。

3.佐藤琢磨は東日本大震災の被災地で支援活動をしている。子供たちには「無理だ」「できない」と思うことがたくさんある。でも やってみないと分からない。自分の好きなことは、とことんやってほしい。夢を見て、目標を設定し達成することで経験をつめる。琢磨は40歳でも夢を追いつづけている。このようなことを子供たちに話している。
















ブログ・100回記念

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                       (箱根・長安寺)
今回でブログ・100回である。100回の記念すべきブログは、前からバイクで全国を走り、村の入口や峠道で見た石仏を記載すると決めていた。

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             (箱根・長安寺)
長安寺は500体以上の石仏が置かれているが、新緑・紅葉と四季折々の中に人間味ある表情をした石仏が多い。

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            (箱根・長安寺)
 線香臭い石仏を何故撮るのですか。と聞かれる時がたびたびあった。
それは日本人の遠い祖先の❛祈り❜❛願い❜の心が石仏に込められているから。石仏と出合うと日本人の心の故郷を見たように感じる。

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             (五島美術館)
 デンと腰を据えて眼光鋭く前をみている。威厳がある。

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             (甘楽市にて)
 村の外れの崖に、村人たちが穏やかに暮らせるように願いを込めて刻んだと思う。

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                         (真岡鉄道の沿線)
 旅の途中で道端や峠道で見かける石仏の何気なく、ひっそりとしたたたずむ姿。その姿に何故か心が惹かれる。自分だけではないと思う。

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                        (総武線・物井ー佐倉)
戦前・総武線の大事故で大勢の人が亡くなった。その霊を祀るため、地元の方々が設置されたという。

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             (秩父・少林寺)
 旅たちの石仏。草履を結んでいる。小さい石仏であるが、印象に残る石仏である。

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            (福島・弥生観音)
 東日本大震災では崖から崩れ落ちなかった。参拝者が多くなった。

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            (長野・霊静寺)
 三途の川の使者。閻魔大王の奥さんとの説がある。

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             (長野・霊静寺)
この寺にはユニークな石仏が多い。❛マントにフンドシ❜をした猫神。

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             (秩父・金昌寺)
 仏像鑑賞を趣味兼仕事として長年、日本各地の寺を巡って仏像を撮影したり論文を発表したりしていた方が、お堂の中の仏像と違って境内の片隅にポツンと立っている石仏に魅力を感じて全国の石仏を撮影して写真集を出版された。

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             (秩父・金昌寺)
 石仏の良さは、お堂の仏像より石仏が親しみやすく、見る側に何かを語りかける。しかし、その石仏が語る言葉は受け取る側の心の在り方で、さまざまである。

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                       (秩父・音楽堂)

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                       (秩父・童子堂)

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                       (京都・三千院)

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                        (京都・愛宕念仏寺)

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                        (山梨・南部町)

私見
1.ブログは10ケ回も続かないと思っていたが、100回も続くとは自分も驚いている。バイクで各地を走って写真を撮ったのが続く原因だったと思う。写真を撮れば誰かに見せたいと思う。

2.一番の思い出は、東日本大震災後に、津波で寛大な被害を受けた被害地をバイクで走った時は、走りながら涙がとまらなかった。

3.今後は2ケ月毎に更新する予定です。












 
 

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