南房総カメラ散歩

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                        (東京湾フェリー)
 元会社の建設部OB会が南房総「白浜温泉」で開催された。房総半島はバイクで何度も走っていて、久し振りに南房総のカメラ散歩である。
 東京湾フェリーは久里浜と金谷を40分で結ぶ航路である。対岸の久里浜火力発電所の煙突付近からフェリーが出てくる。火力発電所の上kに富士山が見えるが、残念だが顔を出さない。
 フェリーは狭い港の中でクルリと回転して久里浜に向かう。船員の話では防波堤内に目立った潮流がなく、比較的操船がしやすいとの事。

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                        (房総びわ)
 国道127号を走っていると、道の駅や国道沿いに(房総びわ)を売っている。ビワを見ると戦後(昭和21年3月)北朝鮮から命からがら母の実家の佐賀に引き揚げてきた。北朝鮮の赤土に比べると、緑豊かな各農家の庭に黄色く光り輝く「びわ」を見たときは、「きれいだな」、「たべたいな」と思いながらみていた。

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             (日本寺の石大仏)
 海抜329mの鋸山。鋸山は良質な房州石の産地で、石を切り出した岩肌に摩崖仏や石仏がある。 1700年代に3年の月日をかけて作られた石大仏。大きさは31mもある日本一の石大仏。小雨の中、ツワーバスが次々と到着して観光客が多い。

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                          (地獄のぞき)
 石大仏から急な階段、また階段を観光客の後についていくと、地獄のぞき)に出る。私は高度恐怖症で行けない。

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              (地獄のぞき)
崩れないかと思うほど、岩から突き出て高いところにある。以前、カミさんを立たせて写真を撮った。

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           (百尺観音)
 インドの摩崖仏を思わせる。昭和41年6年の歳月をかけて完成した。百尺観音は戦争で亡くなられた方々の慰霊のため、また 東京湾周辺の航海、航空、交通犠牲者の為に発願されて彫られた。

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                           (岬カフェー)
 映画、吉永小百合さん主演の「ふしぎな岬の物語」のモデルになった喫茶店。国道127号、内房なぎさラインを走っていると、トンネルの手前に「岬のカフェー」の看板が見える。
 テラスで東京湾を挟み、三浦半島が小雨の中にかすかに見え、タンカーや貨物船等の行き交う船をコーヒーを飲みながらボケーと見るのも心が安らぐ。

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                           (岬カフェー)
 「ふしぎな岬の物語」は第38回モントリオール世界映画祭で、審査員特別賞とエキュメニカル審査員賞のダブル受賞をした。

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           (米占領軍本体本土初上陸地点)
 南房総カメラ散歩の一番の目的である赤山地下壕跡を撮る事である。写真は「ノルマンジー上陸作戦」の写真をおもわせるが、昭和20年9月3日:午前9時20分に、カニンガム准将に率いられた米陸軍第8軍11軍団の3500名が上陸用舟艇を使って館山に上陸してきた。

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                         (上陸地点)
 上陸地点の一部は現在造船所として使われている。当時のコンクリート製滑走台跡は見つからなかった。

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           (館山海軍航空隊赤山地下郷跡)
 第一次世界大戦が始まると軍艦だけでなく飛行機が兵器として使われるようになり、昭和5年に海軍の実践航空部隊として館山海軍航空隊が設立され、館山市内に航空機の工場や燃料の補給施設が集中した。

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                  (赤山地下壕跡)
 昭和16年に対空射撃や陸戦隊の戦術の教育機関、館山海軍砲術学校を設立。そして 昭和18年に航空器整備のために海軍航空隊もつくられた。

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                     (赤山地下壕跡)
この館山海軍航空隊赤山地下壕もそんな軍事施設の一つ。戦時中のトップシークレットだったので、設計図や資料は残っていない。工事開始は昭和17年頃、地下壕全体は1.6キロあるが、見学できるのは延長250mのみ。
 受付で名前と住所を記帳してヘルメットをかぶり内部に入った。

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                     (赤山地下壕)
 地下壕内部には発電所、診療所などの跡がある。戦時中行き当たりばったりで掘ったため迷路のようになっている。この日は見学者は私一人で写真撮影に夢中になり出口が分からなくなった。

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                      (掩体)
 赤山地下壕の傍に「掩体(えんたい)」がある。戦争末期に空襲から戦闘機を守るために作られた「掩体」と呼ばれる格納庫。学生や住民、兵士たちによって40ケ所余りつくられた。全国に残っている掩体は平地にカマボコ型に作られているが、館山では河岸段丘を利用してつくられている。屋根部分に土が盛られくさが生えているから上空から見えにくい。

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                      (掩体)
 この掩体に格納された戦闘機は小さな豊津川を越えて誘導路を通り未舗装の簡易滑走路に引き出されたと思う。

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                      (掩体)
中はヒンヤリとして涼しい。分厚いコンクリートで固められ、ところどころ鉄筋がむき出しになっていた。戦時中の兵士が見守っているようで肌寒くなる。

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                   (野島崎灯台)
「白鳥の灯台」とも呼ばれる野島崎灯台。北海道から沖縄までいろいろな灯台を見てきたが、綺麗な灯台である。映画、「喜びも悲しみも幾歳月」に選ばれなかったのは、明るく きれいだからなのか。

思い出
 ※日本は東京を中心に時計回りに発展するといわれました。川崎、横浜の京浜工業地帯、そして千葉、鹿島などの京葉工業地帯です。
 昭和37年(55年前)五井の丸善石油(現コスモ石油)の配管工事に携わった。宿舎は八幡浜でも飯場生活。40人が雑魚寝である。布団を敷く範囲が自分のお城である。飯場には背中一面に入れ墨の男、おとなしいが不気味な男、チンポの先に蜘蛛の入れ墨をした男たちを見ていると人間観察が面白い。

 この時代は工期を守る為に、正月休みなどなく、12月31日は吹雪の名k徹夜作業で紅白歌合戦の「こんにちわあかちゃん」や「アカシアの雨がやむとき」は、車のラジオで聞いた。

 その後、極東石油のドーム状の原油タンク建設、住友化学の化学プラント工事に携わった。千葉の京葉工業地帯は思い出が一杯で、コンビナートを懐かしく見て通る。








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紫陽花・古代蓮・石仏

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                    (熊谷・能護寺の紫陽花)
六月・梅雨・紫陽花と連想する。石原裕次郎は「花の中で紫陽花が一番すきだ」と言っていた。裕次郎の鶴見の墓地には紫陽花が植えてある。アジサイと言えば、鎌倉のアジサイ寺「明月院」が思い浮かぶ。我が熊谷近郊には紫陽花、古代蓮など綺麗に咲くところがある。

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                    (能護寺の紫陽花)
熊谷近郊でアジサイ寺として親しまれている能護寺は天平15年に国家安泰、万民豊楽と五穀豊穣を祈願のために行基上人が開山して、後弘法大使が再建されたと伝えられている。毎年 境内には50種類800株を超える色どりアジサイが咲き乱れている。

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                    (能護寺の紫陽花)
日本のアジサイのことを「オタクサ」と命名して世界に紹介したのは、オランダ商館の医官として来日したドイツ人のシーボルトである。オタクサの由来はシーボルトの妻、楠木滝の愛称「お滝さん」であると言われている。

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                 (秩父・皆野町金沢浦山の紫陽花)
秩父・皆野町の北西に位置する金沢浦山地区は、カミさんの故郷・鬼石に隣接する奥深い山中であるが、地元の方々の協力で約4000株のアジサイが植えられている。

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              (秩父・皆野町金沢浦山の紫陽花)
❛カッコー、カッコウー❜とカッコーが鳴いている。

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                (行田・古代蓮の里)
「古代蓮の里」で薄紅色の行田蓮が大輪の花を咲かせている。アマチュアカメラマンで早朝から賑わっている。

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                 (行田・古代蓮の里)
早朝に咲き始めた花は、午前7時~9時ごろ満開となり、昼頃閉じる。

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               (行田・古代蓮の里)
開花から花弁が散るまでわずか4日間と短命だが蓮池には約10万株の古代蓮が咲き乱れている。

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               (行田・古代蓮の里)

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               (行田・古代蓮の里)
   ❛命短く 神秘的に❜

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                (沼田・路傍)
 今月もチョット気になる石仏を載せる。線香臭いと言わないで、かわいい石仏をみてください。

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                 (茨城・東興寺)

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                (茨城・東興寺)

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                (茨城・東興寺)

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                 (東京・林泉寺)
茗荷谷駅を出てゆるやかな茗荷坂を下っていくと「林泉寺」の看板があります。入口の階段を上がって右手に縄で縛られた石仏があります。一瞬ギょとします。この地蔵は俗称「しばられ地蔵と呼ばれています。昔から「盗難な失う物があると、地蔵に縄をかけ、願いを叶うと縄をほどく」という変わった風習があり、現在も荒縄で全身をぐるぐる巻きにされています。

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                   (信州佐久・成田山薬師寺)
いま年配者のアイドルである「ぴんころ地蔵」。「元気に長生きし(ぴんぴん)、寝込まず楽に大往生(ころり)したい」という心からを叶えて上げたいと・・・。成田山薬師寺の参道で毎日毎日見守っている「ぴんころ地蔵」

雑談
※最近の一番の関心ごとは、将棋・藤井四段の29連勝、東京都都議選の自民党の大敗北であるが、いろいろと意見もあるが、それはマスコミに任せるとして、「佐藤琢磨」のインディ500初制覇を上げたい。

1.インディ500は時速350キロで約800キロはしる。時速350キロで東京から広島まである。テレビで見ていると時速300キロで車間距離 数センチの接近戦をしている。

2.レース中に素早いタイヤ交換、燃料補給、そして「第三の目」と言われる第一コーナーと第三コーナー上部仮設スタンドからのスッポターによる他のマシーンとの状況判断。完全なチームプレーで初制覇している。

3.佐藤琢磨は東日本大震災の被災地で支援活動をしている。子供たちには「無理だ」「できない」と思うことがたくさんある。でも やってみないと分からない。自分の好きなことは、とことんやってほしい。夢を見て、目標を設定し達成することで経験をつめる。琢磨は40歳でも夢を追いつづけている。このようなことを子供たちに話している。
















ブログ・100回記念

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                       (箱根・長安寺)
今回でブログ・100回である。100回の記念すべきブログは、前からバイクで全国を走り、村の入口や峠道で見た石仏を記載すると決めていた。

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             (箱根・長安寺)
長安寺は500体以上の石仏が置かれているが、新緑・紅葉と四季折々の中に人間味ある表情をした石仏が多い。

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            (箱根・長安寺)
 線香臭い石仏を何故撮るのですか。と聞かれる時がたびたびあった。
それは日本人の遠い祖先の❛祈り❜❛願い❜の心が石仏に込められているから。石仏と出合うと日本人の心の故郷を見たように感じる。

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             (五島美術館)
 デンと腰を据えて眼光鋭く前をみている。威厳がある。

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             (甘楽市にて)
 村の外れの崖に、村人たちが穏やかに暮らせるように願いを込めて刻んだと思う。

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                         (真岡鉄道の沿線)
 旅の途中で道端や峠道で見かける石仏の何気なく、ひっそりとしたたたずむ姿。その姿に何故か心が惹かれる。自分だけではないと思う。

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                        (総武線・物井ー佐倉)
戦前・総武線の大事故で大勢の人が亡くなった。その霊を祀るため、地元の方々が設置されたという。

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             (秩父・少林寺)
 旅たちの石仏。草履を結んでいる。小さい石仏であるが、印象に残る石仏である。

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            (福島・弥生観音)
 東日本大震災では崖から崩れ落ちなかった。参拝者が多くなった。

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            (長野・霊静寺)
 三途の川の使者。閻魔大王の奥さんとの説がある。

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             (長野・霊静寺)
この寺にはユニークな石仏が多い。❛マントにフンドシ❜をした猫神。

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             (秩父・金昌寺)
 仏像鑑賞を趣味兼仕事として長年、日本各地の寺を巡って仏像を撮影したり論文を発表したりしていた方が、お堂の中の仏像と違って境内の片隅にポツンと立っている石仏に魅力を感じて全国の石仏を撮影して写真集を出版された。

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             (秩父・金昌寺)
 石仏の良さは、お堂の仏像より石仏が親しみやすく、見る側に何かを語りかける。しかし、その石仏が語る言葉は受け取る側の心の在り方で、さまざまである。

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                       (秩父・音楽堂)

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                       (秩父・童子堂)

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                       (京都・三千院)

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                        (京都・愛宕念仏寺)

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                        (山梨・南部町)

私見
1.ブログは10ケ回も続かないと思っていたが、100回も続くとは自分も驚いている。バイクで各地を走って写真を撮ったのが続く原因だったと思う。写真を撮れば誰かに見せたいと思う。

2.一番の思い出は、東日本大震災後に、津波で寛大な被害を受けた被害地をバイクで走った時は、走りながら涙がとまらなかった。

3.今後は2ケ月毎に更新する予定です。












 
 

わたらせ渓谷鐡道と足尾銅山

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                       (大間々駅付近)
今月は❛わたらせ渓谷鐡道の花と足尾銅山の歴史❜を訪ねます。
 わたらせ渓谷鐡道は「桐生から足尾」までの渡良瀬川の渓谷沿線を走り,車両はディーゼルで起動しているから戦線に架線がなく、線路の周りが綺麗です。写真はレールのS字が見渡せる、大間々駅の近くあり、早朝からカメラマンが並んでいる。

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                       (上神梅駅)
 古い駅舎に旧列車がにわう。地元の人たちが毎日駅を清掃及び花壇の整備をされて綺麗。駅舎は国の登録有形文化財になっている。

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                       (神戸駅)
神戸駅の陸橋から撮影。陸橋は桃の花を見る観光客で満員。手持ちで撮影。

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                      (神戸駅)
やっと桜が咲き、桜と桃の花の競演が撮れました。桃源郷の中を列車が走っています。

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                       (花輪駅)
花輪駅の紫陽花に迎えられる列車。

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                (沢入駅)
警笛を鳴らして新緑と桜の中から列車が現れる。

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                          (沢入駅付近)
駅から渡良瀬川に入るため、林の中を歩いていると熊が出ないと思い「熊除けの鈴」と「カセットテープ」を流しながら渡良瀬川に降りる。猿の集団の会う。猿でも大勢だと怖い。

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                         (藤間駅)
わたらせ渓谷鐡道の終着駅である。列車止めが寂しくたたずんでいる。

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                         (廃線跡)
現在は藤間駅が終点になっていたが、以前は採掘された胴を運搬する為に本山駅まで走っていた。鉱山の人に声を掛け、廃線跡を歩かせてもらった。

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                       (廃線跡)
短いトンネルであるが、中に入ると鉱夫達の声が聞こえそうで胸が締め付けられる

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                     (精錬所に入る)
 川と道路をまたいでいる高い跨線橋を列車が走っていた。工事に携わっていたから高い場所は慣れているが、75歳、下が見える枕木を渡る時は足がすくんだ。

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                     (精錬所跡)
レールが入り乱れ寂しく錆びている。

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                     (精錬所跡)
 日清・日露・太平洋戦争そして戦後の復興に男たちが日本の為、亜硫酸ガスの影響で「珪肺病」と戦いながら働いた。

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                     (精錬所跡)
 足尾銅山は日本の40%の胴を生産していた。大量の鉱石の精錬工程で亜硫酸ガスを発生させて公害の源点と言われる。亜硫酸ガスを止めることが出来たのは、昭和31年フィンランドから技術導入した精錬技術と煙から副産物として硫酸を取り出す方式を確立して亜硫酸ガスを止めることが出来た。足尾で開発された無公害の精錬方式は現在世界中で活躍している。

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                    (小中駅付近)
 廃校の学校と校庭に残る一本桜。

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                    (桃の花)
桃の花に雨の滴が垂れる。鉱夫たちの冥福を祈る。







歴史の記念碑をたずねて(その2)

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                    (あぁ上野駅の歌碑)
4月のブログは3月の続きで「、歴史の記念碑をたずねて」を記載いたします。

          どこかに故郷の 香りを乗せて
          入る列車の なつかしさ
          上野は おいらの 心の駅だ
          くじけちゃならない 人生が
          あの日ここから 始まった

上野駅広小路口に「あぁ上野駅」の歌詞がある。親元を離れ、夢と不安を胸に抱きながら、必死に生きてきた少年、少女達。彼らを支えた応援歌「あぁ上野駅」。
集団就職で上京する人は、この歌を忘れない。悔し涙をこらえて、この歌で心を鼓舞し、必死に仕事に打ち込んでいたに違いない。

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                       (石川啄木の歌碑)
            ふるさとの 訛りなつかし
            停車場の 人ごみの中に
            そを 聴きにゆく

上野駅15番ホームの車止めには、石川啄木の歌詞がある。この句に自分を重ねる人もいただろう。

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                          (お岩稲荷霊堂再建記念碑)
 お岩と言えば四谷怪談に出てくる❛うらめしや~❜の代名詞ともいえる。物語はお岩さんが、夫に騙され、毒を盛られて惨殺され、幽霊となって復習を果たす話である。
 総武線「信濃駅」から歩いて10分程で於岩稲荷田宮神社がある。こじんまりとした綺麗な神社で「縁結び」「安産祈願」のお願いに女性客がたえなかった。

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                        (亀戸銭座跡の碑)
亀戸天神近くに、穴の開いた江戸時代の通貨のモニメント「亀戸銭座跡の碑」がある。これは銅銭「寛永通宝」をモデルにしたものである。1663年から1683年までこの辺に鋳造所で作られた。この辺りを「亀戸銭座」と呼ばれた。

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             (野口英雄像)
 野口英雄を知らない日本人はいない。教科書、雑誌、漫画その他に色々な形で登場する。「日本最強の偉人」である。貧しい境遇や火傷で不自由な手というハンデーに負けず、苦学勉学に励み医学者として世界的に名声をえた。

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                       (二・二六事件慰霊碑像)
 1936年2月26日早朝、東京は雪模様であった。陸軍の青年将校ら約1400人が雪の中、首相官邸、警視庁、朝日新聞社まどを襲撃。渡辺丈太郎陸軍教育総監、斎藤内大臣、高橋是清蔵相が射殺された。
 渋谷区の渋谷地方合同庁舎に接近してに・二六事件の慰霊碑がある。目を閉じた女神像が右手をあげ、人差し指で天を指している。皆 天に上ったという意味であろうか。慰霊に訪れる人がいるのだろう。供花されていた。

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                        (出陣学徒壮行の地碑)
 太平洋戦争は泥沼化し、おびただしい戦死者がでた。兵士の不足が深刻となり、1943年高等教育機関の徴兵猶予が停止。20歳以上の学生が戦地へ送られることになった。10月21日神宮外苑競技場で降りしきる雨の中、出陣学徒の壮行会が挙行された。銃を肩にかけ、ずぶ濡れになって行進する学生たち。その写真の中に❛おにぎり❜の入った風呂敷を腰にぶら下げている一枚の写真が目に焼き付いている。

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                         (プロ野球戦没者・鎮魂の碑)
 東京ドームの傍にプロ野球戦没者の「鎮魂の碑」がある。碑には先の大戦で犠牲になった約70名の名が刻まれている。伝説の名投手「沢村栄治」の名もある。

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              (巣鴨プリズム跡)
 池袋サンシャイン60は、巣鴨プリズムの跡地に立てられた。極東国際軍事裁判(東京裁判)によりA級戦犯となった東条英樹らの死刑が執行された場所でもある。東京裁判とは、太平洋戦争の戦勝国が、日本側の戦争責任者を裁判のことである。

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                      (千鳥ヶ淵戦没者墓地・天皇御製碑)   
 太平洋戦争では、家族の元に帰れず戦場で無念さを抱えたまま身元が分からず靖国にも入れない方々も多い。そうした方々の眠る墓所が千鳥ヶ淵戦没者墓苑である。敷地内には昭和天皇の御製の碑が建てられている。

                くにのため
                 いのちささげし
                ひとびとの
                 ことをおもへば
                むねせまりぬ
                            昭和天皇

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                     (恋文横丁跡)
 「渋谷 109」から文化村通りを少し上がっていくと「恋文横丁此処にありき」と書かれた、くすんだ木の碑がある。朝鮮戦争当時、米兵相手に商売をする女性が、本国に帰った「恋人」に出す手紙を英語の出来ない彼女たちに代わって書く代筆屋があった。かっては奥へ続く路地に小さな代筆屋があった。「恋文横丁」と呼ばれるようになったのは、丹羽文雄の「恋文」という小説に由来する。

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                     (吉田 茂像)
 戦後の政治家のなかで、吉田茂は他の追隋をゆるさないだろう。占領日本から独立日本へ、そして大日本帝国から日本国へ。「戦争に負けたが、奴隷になったわけではない」とGHQに対等に渡り合う。
 最近「民意」という言葉をよく耳にするが、国家百年の計などというものが、国民の総意という形で出来上がるものではない。講話条約に関しても、中ソ以外の国との単独講話か、中ソも含む全面講和かで世論は二分された。むしろ学者をはじめ メディア、国民の声は全面講和のほうが強かった。だが米ソ冷戦の激化により、それは現実的に難しい。一刻も早く占領を終わらせるために、吉田は単独講話を選択した。
 あまり知られていないが、北の丸公園には吉田 茂の銅像が立っている。コートを着てステッキを手にした姿は、おなじみであるが顔は優しい。

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                    (新幹線開業碑)
 東京駅の新幹線ホームには「新幹線の父」と讃えられた十河信二の新幹線開業碑がある。戦前には弾丸列車計画があった。東京~下関を時速250kmの弾丸列車を走らせるのである。戦後復興期を迎え東海道線の大量輸送と高速化案が浮上したが、航空機の台頭、高速道路の整備と時代の波の中、否定的な意見が多かった。しかし いまはJRの稼ぎ頭である。

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                    (有楽町であいましょう・歌碑)
 現在よく待ち合わせに使われる場所は、有楽町マリオンのカラクリ時計の下。時計の中から人形が出て来て軽快な音楽に合わせて踊る様子がかわいい。マリオンの時計下に昭和30年代に大ヒットした、フランク永井が歌った「有楽町であいましょう」の歌碑がある。

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                    (横綱力士碑)
 江東区の富岡八幡宮に横綱力士碑がある。初代明石志賀之助から71代鶴竜まで歴代の横綱が刻まれている。
 春場所千秋楽の優勝決定戦。左肩附近を負傷した横綱・稀勢の里が見事逆転優勝した。満席の館内の大拍手はしばらくは鳴りやまなかった。表彰式で横綱の目から涙があふれた。「努力で天才に勝ちます」と中学校の卒業文集に書いた稀勢の里。横綱力士碑に稀勢の里はいつ刻まるるだろう。

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                     (フーテンの寅像)
 柴又の駅を降りると、鞄をもった「フーテンの寅像」が立っている。旅から帰って来たのか、これから行くのか。
「マンネリ」と言われるが、寅さんは「偉大なるマンネリ」。お決まりのおせっかいと失恋。観客は安心してみていられる。妹の「さくら」の像も設置された。

あとがき
 1.歴史ドラマの出会いを求めて、記念碑や像をパソコンで調べると、何百という記念碑、像が出てくる。親しんだ街や気になる記念碑・像を選んで記載した。

2.東京に用事が出来ると 何カ所かの記念碑、像の写真を撮るなどして約6ケ月間をようした。刻まれた碑文などを読みと、先人の繰り広げられたドラマが眼前で展開されているようだった。めぐる度に、新鮮な驚きを覚えた。

3.各々の碑や像のコメントを記載する為に色々な本を読んだ。「新幹線を走らせた男」「白州次郎ー占領を背負った男」「吉田 茂ポピュリズムに背を向けて」他、歴史を知ることが出来て面白かった。






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