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ANA整備工場見学

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                       (城南海浜公園にて)
普段はなかなか近づけない大きながら繊細な飛行機を間地で感じられるANA整備工場見学に行った。6ケ月先の予約開始日まではほとんどの日が満席になっている盛況である。



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                       (マリンジャンボの模型)
東京モノレール・新整備場駅前から10分程歩き、ANAメンテナンスビルで、受付を済ませて「お話会場」に入ると、会場左手に過去の特別塗装機の模型が展示してる。ANAの特別塗装機といえば機体全体に大きなクジラを描いた「マリンジャンボ」が印象深い。



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                        (最初は座学)
時間になると簡単なスタップの紹介のあと映像が流され、その後数問のクイズが出た。JALが飛行機の飛ぶ仕組みを話されたが、ANAは飛行機の歴史を話される。



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                        (巨大な格納庫)
青いヘルメットを被りエレベーターで3階に上がり、扉を抜けると巨大な空間に数機の飛行機が整備を受けていた。



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                          (格納庫内)
整備場見学しか撮れない入庫中の飛行機を撮る。



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                        (整備中の飛行機)
足場はその都度、組立、解体するのではなく、飛行機に合うようにブロック化してある。



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                       (エンジン整備中)
エンジンカバーを取り外して内部のローターリーなどの写っている写真は掲載できない。



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                       (飛行機のタイヤ)
ランディングギヤに使われるタイヤ。機種ごとに分けられていて、役200回の離着陸を目安に交換のようだ。


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                        (整備場見学)
修学旅行仲の中学生が見学をしていた。案内のひと(女性)に❛おじさん、おばさんよりも、中学生の案内の方が良かったですね❜と言ったら「いや、皆さんの方が熱心に聞かれ質問されるからいいですよ」と返事される。



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                        (整備終了)
どこに飛び立つのだろうか


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                         (雨の羽田)
乗客が搭乗してトーイングカーに引率されて滑走路に向かう。こんな小さなトーイングカーでよく400トンもある飛行機が引率できると思う。



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                         (スターウォーズ離陸)
京浜工業地帯に見送られてどこに向かうのだろう。


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                        (夜の羽田)
滑走路側の駐機場で小型飛行機が駐機しているのを見ると、以前、中近東カタールの海水淡水化工事に出向する際、バーレン空港でカタール航空に乗り換える時、工事用部品、工具など段ボール23個が滑走路に置かれていた。灼熱の滑走路で「おばQみたいな」民族衣装を着た空港職員に指示して飛行機に積ませたことを懐かしく思い出す。



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                        (最終便)
400tonもある旅客機が大雨のなか、スリップもしないでよく着陸する。



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              (中国・武漢へ第4便出発:テレビより)
中国・武漢市で新型コロナウイルスが見つかり、5大陸に拡大している。政府は閉鎖された武漢から邦人の帰国にチャーター便の派遣は、ストレートで混じりけのない任務で良かった。なぜ政府専用機でなく、ANAなのかと疑問に思った。政府専用機は、100人程しか乗れないが、ボーイング767は、270にが乗れる。又 政府専用機は自衛隊管轄で中国政府が乗り入れに難色をしめしたようだ。


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                      (武漢からの第4便到着)
 中国は日米のチャーター便を優先して受け入れた。米国とは貿易摩擦を抱え、日本とは習近平国家主席の訪日を控え、特に中国が日本に根強い反中感情の改善を望んでいるのも有利に働いた。
 日本側の配慮もあった。行きの便に中国で不足しているマスクや防護服の支援物資を大量に積んで提供した。武漢と友好都市の大分市からの支援物資には「武漢加油(がんばれ!」の文字があり、中国新聞に「日本が示した同情と支援は感動を与えている」と書いた。


*クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の乗客に人命を救うために自分の危険をさらして活躍した医師、看護師等が職場に戻り「ばい菌」あつかいされたり、子供たちがいじめを受けないように願う。




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都電・フォトさんぽ

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                         (都電・三ノ輪橋駅)
 チンチンと鳴らして路地裏を颯爽と駆け抜ける都電・荒川線を撮りにいった。
1960年代は、有楽町駅前の築地通り、銀座4丁目の和光前の昭和通りなどは チンチン電車の都電が走っていた。最盛期には200kmを越える路線網を持っていたが、1964年の東京オリンピックを境に慢性的な自動車の渋滞で都電は輸送効率や収支が悪化して順次廃止が進められた。




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                         (三ノ輪橋駅附近)
 荒川線は線路のほとんどが道路と分離された専用軌道であったことと、他に有効な代替え交通期間がなかったので廃止を見送られた。その後 沿線住民の強い要望もあり、存続の方向性になった。



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                (三ノ輪橋駅の下車ホーム近くの祠)
 線路の側の祠には安全を祈願して手を合わせたくなる。



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             (三ノ輪橋駅~早稲田に向かって出発)
都電・荒川線は、全長12,2km。起点 終点を含み30の停留所がある。



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                     (荒川車庫前駅)
 荒川車庫雨駅で運転手が交代する。
駅のベンチに座って電車を待っているおばさんに「今日は寒いね」と声を掛けると「冬だからね」と返事が返って来る。返す言葉が出ない。




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                       (大塚駅前)
線路の緑が都会の電車ではないみたいだ。



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大塚駅前の「天祖神社の秋祭り。



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                   (天祖神社の秋祭り
若い女性が案内の提灯を立てているのは他のお祭りと違う。下町のお祭りの雰囲気。


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                        (各町内の元締め)
各町内の元締めが鳥居の方から歩いて来られたから「写真を撮らせてください」と声を掛けると「ハイよ」と階段の最上階に並んでくれた。



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                    (ハッピ姿のお嬢さん)
個人情報で煩い世の中であるが、さすが下町・声を掛けると笑顔で撮らせてくれる。声を掛けた私の方に目線をくれたが、隣の隣のカメラマンに目線が移った。



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                         (大塚駅)
大塚駅の上を山手線が通過する。



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                     (王子駅から飛鳥山)
都内で唯一となる路面電車と車両の併用区間。ラッシュ時間帯は大型車両や乗用車などに挟まれながら走っている。



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                        (飛鳥山駅附近)
飛鳥山駅からの直線区間。荒川線と住民とは共存共栄を思わせる。



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                    (飛鳥山駅陸橋より)
信号待ちの都電の前をゆっくりと通る。



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                         (学習院駅附近)
サンシャイン60を背景に。



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                     (スカイツリーと都電)
チンチンと鳴らしながらモーターの音を響かせて路地裏を颯爽と駆け抜ける。時代の荒波をうまく乗り越えて荒川線が現代まで生き残れたのは軌跡かもしれない。何度も荒川線を撮りに行ったがいつの時間帯でも乗客が多く座ることが出来ない。ほんとうに沿線住民の下駄代わりになっている。


成田山・新勝寺初参り

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              (シティライナ成田開運号)
令和元年は仕事中に意識を失い病院に搬送されたり 又 脈拍が30以下になりペースメーカー植え込み手術をおこなった。そこで年間1,000万人を超える参拝者が訪れる全国有数の寺院、成田山新勝寺に初詣に行った。



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                        (京成成田駅)
京成成田駅に降りるのは何十年振りである。1970年頃、成田国際空港のジェット燃料貯槽の工事に携わった。その時代は成田空港建設反対デモで駅周辺は索漠としていた。




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                      (成田山・表参道)
成田駅から新勝寺の総門までの約800mにわたる表参道は飲食店やお土産屋が軒を連なっている。朝10時30分頃には、うなぎ屋の香ばしい匂いに誘われて店さきに客が並んでいた。




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                      (成田山・総門)
ポリスDJの誘導に従いながら表参道をだらだらと歩き、やっと総門が見えてきた。



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                        (総 門)
壮巌な雰囲気の総門は、高さ15mの総欅作りである。欄間には十二の木彫刻が施されている。参拝客に押されてゆっくりと見ることが出来ない。



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                        (仁王門)
総門から急な階段を登ると、仁王門には大きな「魚がし」と書かれた大提灯が下がっている。



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                        (三重塔)
仁王門の右手に高さ25mnの三重塔が太陽に光をあびて綺麗な美しさを誇っている。



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                         (大本堂)
正月の飾りで屋根は見えないが、大本堂は1968年に建立された。以前 在籍した会社の同僚が銅板の屋根張り工事を施工した。同僚の顔を思い浮かべながら屋根を見ていた。



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                           (常香炉)
やっと常香炉までたどり着いた。線香の煙を手ですくい体の悪い所に当てると良くなると言われがあり、煙を胸のペスメーカーあたりにゆっくりと当てる。



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                          (大本堂へ)
機動隊の誘導に従いながらゆっくりと進む。



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                          (大本堂)
参道から1.5時間かかり本堂で参拝することができた。



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                       (聖徳太子堂)
日本の仏教興隆の祖である聖徳太子堂の理念にもとづき世界平和を願って1992年に建立された。



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                        (額 堂)
江戸で人気の歌舞伎役者・市川團十郎は子に恵まれず、成田山・新勝寺で祈願したところ待望の男の子を授かった。この報恩として成田不動尊にまつわる演目を上演したら芝居は大当たり、團十郎の活躍で成田不動尊は民衆に知れ渡ることになった。以来 市川一門は節目ごとに成田山新勝寺に参詣するなど深い絆で結ばれている。市川海老蔵さんは成田市御案内役人に任命されている。



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                    (成田山・醫王殿)
御本尊薬師瑠璃光如来は、病を癒し苦痛を取り除き、寿命を延ばす功徳があると健康長寿、息災延命の仏像として信仰されている。今年の健康をお願いしてローソクを立てる。



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                      (平和の大塔)
高さ15m。中で写径をされている人達がおられた。



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                        (平和の大塔)
額堂付近でお坊さんが並んで歩かれていた。何処に行くのかと思いながら後ろに付いて行くと「平和の大塔」に入って行かれた。読経後 平和の大塔から出て、大本堂の方に歩かれた



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                        (シティライナ)
参道で利根川と印旛沼で獲れたウナギを食べて、シティライナで帰る。

余談
*成田山新勝寺は工事安全祈願で本堂に参拝してお札を頂き帰るだけであったが、今回、広大な境内に、額堂、光明堂、平和の大塔などをまわっていると心がやすまり、江戸時代から人々の信仰を集めた成田参りがわかるようだ。
                   
                          

わたらせ渓谷鐡道と紅葉の競演

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             (わたらせ渓谷鐡道:わたらせけいこく号)
わたらせ渓谷鐡道は、利根川の支流・渡良瀬川に沿ってJR桐生駅から間藤まで44.1kmを結ぶ。かっては足尾銅山の鉱石運送を行っていたが、いまは四季の移ろいが美しい観光路線として賑わっている。



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                        (桐生駅)
小春日和の穏やかな秋の日に、列車と紅葉を撮りに行った。 わたらせ渓谷鐡道はJR桐生駅の一番ホームから発車する。車掌に声をかけると、快く撮らせてくれる。



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                         (車 内)
車内に乗客がおられると個人情報の制約があり、乗客が乗る前に車内を撮影する。車内は赤井クロスシートであたたかい雰囲気だ。



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                       (大間々駅)
大間々駅はわたらせ渓谷鐡道の本社がある。列車の点検、整備、修理などの車両基地である。大間々駅は、下り列車が早く着き、上りが遅く着いて早く出ていく。



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                    (大間々駅にて車両連結)
新緑や紅葉の季節は週末はどの列車も観光客でほぼ満員になる。大間々駅で連結作業が行われていた。



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                         (上神梅駅)
地元の方々が毎日清掃及び季節の花々を花壇に植えたらされているから、綺麗な駅である。古い駅舎は国の登録有形文化財になっている。バスツアーのカメラマンが列車や駅舎を撮っていた。



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                           (小中駅附近)
小中駅附近の橋の上から廃校を背景に「わっしー号」を撮る。



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                         (築500年の古民家)
わたらせ渓谷鐡道沿線には古民家が多く残っている。この家は、築500年で今も娘さんが住んでおられた。いま古民家は静かなブームでカメラマンが撮影に来る。



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                      (神戸駅)
「ごうど」と呼ぶ。地元で農業のかたわら駅で栗やミカン、手作りの餅など売っていた、笑顔の駅長は残念だがおられなかった。美味しそな「よもぎまんじゅう」を買う。



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                 (沢入駅の陸橋より撮影)
NHK朝ドラの「半分あおい」はこの陸橋でプロポーズシーンを撮影された。



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                      (沢入駅附近)
沢入駅附近の橋から撮影。山が萌える。列車がゆっくりと小さく紅葉の森から現れる。



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                         (間藤駅)
旅客終着の間藤駅。小春日和のぽかぽか陽気で、乗客のみなさんは、ベンチでコーヒーを飲んだり、弁当を食べたりと時間を過ごして、また 同じ列車で帰って行く。



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                          (終着駅)
車止めを後にして列車はディーゼルの音を響かせて去っていく。


余 談
※11月28日で78歳になる。結婚して50年。全国をバイク旅に行かせてもらいカミさんに感謝である。仕事が現場工事関係で留守がちであった。我が家での私の❛位❜は「一番カミさん、二番子供、三番柴犬のレオ、犬の次が私であった」。子供たちは独立している。いまはカミさんと二人である。


※奥さんは夫を何と呼ぶか。結婚してある程度期間が過ぎると「主人」と呼ぶようになる。「うちのひと」「だんな」の割合多い。「だんな」は貫禄がない。「うらなり瓢箪」みたいだ。

 以前 中近東カタールに「海水淡水化設備工事」で6年ほど出向していたとき、懇親会のカラオケでいつも越路吹雪の「ろくでなし」を大手商社の奥さんが歌っておられた。旦那は大手商社の中近東の支店長をやるぐらいだから能力のない人ではなかった。「ろくでなし」、なんで❛六❜なのだろう。


※おれっちでは カミさんは私のことを「春樹クン」(僕の名前)と呼び、私は「真知子さん」と呼ぶ。上下関係がこれほどはっきりしている呼称はない。

熊谷にラグビーW杯がやってきた。

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                (熊谷駅・階段アート)
❛4年に一度じゃない。一生に一度だ❜のスローガンのW杯ラグビーが熊谷ラグビータウンにやってきた。ロシア対サモアを観戦した。



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                (ロシア・サモアの両国選手が入場)
最初にW杯の旗を中学生が運ぶ。そして太鼓の音が鳴り響くと両国選手が入場。
観客は23,000人である。



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                      (国歌斉唱)
国歌斉唱がアナウンスされると日本の国歌ではないが観客全員が椅子から立ち、両国の国歌を中学生が歌い盛り上がった。中学生が自国の国歌を歌ってくれたことに選手は感激したに違いない。他の競技では国家斉唱がアナウンスされても椅子から立ち上がらない人もおられる。ラグビーは違った。



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                  (サモアの戦いの踊り)
サモアの戦いの踊り「シバウア」を披露。気持ちを高ぶらせる姿に拍手が沸き起きる。



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                       (キックオフ)
観客の❛スリー、ツウ、ワン❜の掛け声でキックオフ。「ゴー、サモア」「ゴ、ロシア」などの声援が飛ぶ。
 ラグビーの起源は1823年イングランドのパブリックスクール、ラグビー校でフットボール試合中にエリス少年がボールを抱えて走りだした・・・・のが起源と言われている。
 又 ラグビーボールは、縦長で弾力性がある豚のぼうこうを膨らませ、それに牛の皮を包んだボールを作ったのが楕円球の始まりと言われている




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                           (熱 闘)
グランドでは屈曲な体の選手たちが、ぶっつかり合う迫力、驚異的な速さでトライを奪う爽快感、豪快なタックルで相手を倒す勇気。ぶっつかったときに骨の軋む音がスタンドまで聞こえる。良いプレーには敵味方なく歓声と拍手。そしてスタンド全体にウエーブがまき起きる。テレビではあじあえない醍醐味だ。



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                            (TMO)
TMOちは(テレビジョン・マッチ・オフィシャル)の略。いわゆる「ビデオ判定」密集状態やトライの判定。悪質なプレーによる反則などを検証する。観客は会場の大画面にに流れるリプレイの映像を見ながら楽しむことができる。



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                           (レフェリー)
鍛え抜かれた男同士がぶっつかり、胸を掴み、睨みつけたりなど選手が「カッ、カッ」熱くなる。スタンドでは「うお・・。」と歓声が上がる中、レフェリーは良く冷静になって判断できるとおもう。



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                           (ノーサイド)
試合終了後、両国選手が互いに健闘し合い、又 スタンドでは国は違ってもラグビーファン同士が肩を組んだり両国の歌を互いに歌ったりして心温まる光景が見られた。


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                           (ロシア選手たち)
試合が終わり選手たちがグランドを一周すると勝者、敗者関係なく観客は拍手で迎えてくれる。サインしたり写真を撮ったりとファンと選手の交流。他の競技と違う。この雰囲気は試合を見に行かないと分からない。



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                        (サモア選手たち)
ロシア応援席にサモア選手団がくると椅子から立って大拍手である。
 以前、浦和レッズの「Japanes Only Gate」の差別用語。ファン同士のいがみ合い、喧嘩。また 野球では対戦相手のファンをロープで隔離したり、相手応援団にミカンを投げたりとスタンドでは差別がある。ラグビーファンは敵味方入り混じって観戦している。何かがラグビーは違う。




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                  (パブリックビューイング:PV)
熊谷パブリックビューイング会場に日本対サモアを見に行った。試合開始は7時15分だから6時ごろ行ったら会場は座る場所がない。ビールを飲みながら歩きながら試合を観戦する。



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                        (君が代・斉唱)
試合競技場ではないが皆さん椅子から立って「君が代」を歌う。



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                     (サモア国歌斉唱)
パブリックビューイングのみなさん、座らないで静かに聞いていた。サモア国歌が終わると拍手。


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                     (福岡選手のトライ)
ウイング・福岡選手のジャンピングトライ。



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                       (トライの瞬間)
全員が大拍手である。まるで試合競技場にいるみたいだ。


余談
1.ラグビーは鍛えられた男同士がスクラム、タックルなど激しい肉体的な接触を伴う競技でる。危険なプレーをすれば首を痛めたり重大な怪我をする競技だからルールを尊重し合う。そのためには試合を離れた場では友好を深め互いに敬意を持っている。試合終了を意味する「ノーサイド」という言葉は争いを終わればしこりを残すことなく友好関係を結ぶという意味で、ラグビー界を越え広く社会で使われている


2.ラグビーW杯で日本代表は強豪国を破り初のベスト8に進出した。ラグビーは野球やサッカーに比べると関心が低かった。スコットランドに勝利した後のインタビューで❛sべてを犠牲にして練習した❜とある選手が語っていた。タックルされた状態で行うオフロードパスはまるで吸い付つくように仲間につなっがている。絶妙な位置でボールを受け取る連携プレーは練習を重ねないと出来ないだろう。
 また 特に心に残ったのは韓国の具智元選手だ。具選手の体を張ったスクラムや魂の雄おたけびは、国のわだかまりを越える大切なものがあることを感じさせてくれた。









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